
新年、明けましておめでとうございます。
昨年末のコラムでは、アート市場の商流において「展覧会はゴールではなく、作家の物語が動き出す起点である」という話を3回にわたってお伝えしてきた。
作品が誰かの手に渡ることは、作家にとっての「終わり」ではない。
むしろ、そこから作家とコレクターが共に歩む、長い旅の始まりなのだ。
では、その旅の過程で私たちは何を目撃するのか。
2026年の幕開けにあたり、私は一人の作家の現在地を皆さんに共有したい。
石川美奈子。彼女が描き出す「光の波長」は、今、日本の現代アートシーンにおいて、一つの到達点へと向かおうとしている。
3色から288色を生み出す、「祈り」のような手仕事
石川美奈子の作品を初めて目にした人は、まずその完璧なグラデーションの美しさに目を奪われるだろう。
透明なアクリル板の上に、寸分の狂いもなく並ぶ細い線の列。それはまるで、目に見えないはずの「光」が物質に姿を変え、そこに静止しているかのような光景だ。
しかし、その美しさの裏側には、私たちが想像する「絵を描く」という行為からはかけ離れた、過酷なまでのプロセスが隠されている。
彼女は、市販の絵具をそのまま使うことはない。
使うのは、シアン、マゼンタ、イエローのわずか3色だ。この3つの原色を、緻密な配合で混ぜ合わせ、なんと「288色」もの色階(色の階段)を自ら作り出す。
なぜ、そこまでこだわるのか。
彼女はインタビューでこう語っている。
「自分というフィルターを通した色でなければ、描く意味がない」
想像してみてほしい。288もの容器に分けられた、少しずつ色相の異なる絵具。
彼女はそれを筆に含ませ、アクリル板の上に一本ずつ、呼吸を整えて線を引いていく。
一筆でも迷えば、あるいは呼吸が乱れれば、その完璧な調和は崩れ去る。
それは単なる作業ではない。
自分自身の身体を楽器のように調律し、世界に満ちている光をこの世に繋ぎ止めるための、静かな「儀式」なのだ。
この執拗なまでのこだわりこそが、彼女の作品に、単なる「綺麗なグラデーション」を超えた、圧倒的な存在感を与えている。

「Wavelengths 2026」――20年の時を経て辿り着いた「解放」
石川美奈子のキャリアは、元々「染色」から始まっている。布を染め、糸を扱う感覚。
それが現在のアクリル作品の「線」の表現に繋がっている。
しかし、2026年の今、彼女の表現はさらなる進化を遂げた。
これまでの彼女の作品は、ある種「端正で静謐な美」の極致だった。
しかし、最新シリーズである「eye」や、大型のインスタレーション作品を見ると、そこには明らかな「変容」がある。それは、「線のゆらぎ」と「空間への進出」だ。
これまではアクリル板の平面に対して平行に線を引いていた彼女が、今は板を垂直に立て、重力や自分の手の震えさえも味方につけて描くようになった。
インタビューで彼女は「重力に逆らわずに描くことで、より自然な光の動きが表現できるようになった」と語っている。
分かりやすく言うなら、それは「定規を使って描いた正確な図面」から、「自分の心臓の鼓動をそのまま筆に乗せた、命の宿る絵」へと進化したようなものだ。
20年という長い年月をかけて、狂いなき技術を磨き抜いたからこそ、彼女は今、その技術をあえて「手放す」という、究極の自由を手に入れたのである。
作家が守りに入らず、自らのスタイルを破壊してまで「真理」に近づこうとする姿。
これこそが、私たちが中長期的に作家を見守る中で出会える、最もエキサイティングな瞬間である。
「作家の成長」という物語の、共犯者になるために
ここで、我々が繰り返し伝えてきた「中長期的なプロモーション」の意味を再考したい。
もしあなたが、数年前に彼女の初期作品を買っていたとしたら、今の彼女の変貌をどう感じるだろうか。
「昔の作風の方が好きだった」と思うだろうか。それとも「ついにここまで来たか!」と胸を熱くするだろうか。
我々は、後者であってほしいと切に願っている。
アートを所有する最大の喜びは、完成された「モノ」を手に入れることではない。
作家が苦悩し、壁にぶつかり、それを乗り越えて新しい表現を掴み取る。その「変化のプロセス」に、自分自身の人生を重ね合わせることにある。
石川美奈子が上海での個展を成功させ、世界的な評価を得るプロセスにおいて、彼女の作品はどんどんダイナミックになり、深みを増している。
それは、彼女を信じて支え続けてきたコレクターたちがいたからこそ、彼女が失敗を恐れずに「未知の表現」へと漕ぎ出すことができたという側面もあるはずだ。
作家は一人で成長するのではない。市場(マーケット)という風を受け、コレクターという伴走者を得て、初めて遠くの海まで航海できる。
石川美奈子の描く線の一本一本には、彼女の過去の葛藤も、現在の歓喜も、そして未来への希望もすべて塗り込められている。
新年の挨拶として、私は皆さんに提案したい。
今年は、一目惚れした作品をただ買うだけでなく、その作家が「どこから来て、どこへ行こうとしているのか」という大きな流れを想像してみてほしい。
その重層的な時間の輝きを感じ取ることができたとき、あなたのアートコレクションは、単なる壁の飾りから、あなたの人生を共に歩む「光」へと変わるだろう。
2026年1月7日(水)からギャラリーにて個展「Wavelengths 2026」を開催いたします!
石川美奈子「Wavelengths 2026」
2026年1月7日(水) ~ 1月24日(土)
営業時間:11:00-19:00 休廊:日月祝
※初日の1月7日(水)は17:00オープンとなります。
※オープニングレセプション:1月7日(水)18:00-20:00
入場無料・予約不要
会場:tagboat 〒103-0006 東京都中央区日本橋富沢町7-1 ザ・パークレックス人形町 1F
石川美奈子個展「Wavelengths 2026」の展覧会情報はこちら